森英恵さん死去 業界から悼む声

2022/08/18 13:25 更新


04年の最後のオートクチュールコレクション。フィナーレには孫の森泉さんと登場した

 ファッションデザイナーの森英恵さんが8月11日、都内の自宅で亡くなった。96歳。葬儀は近親者で行った。後日、お別れの会を行う予定。日本のファッションデザイナーの先駆けで、日本のファッション界の発展に貢献した。

森英恵さん

《森英恵さんを悼む》 

ファッションデザイナー 桂由美さん

 「巨星墜(お)つ」――日本のファッション界で国際的に最も活躍した方でした。森さんの活躍する姿に様々なことを教えられ、尊敬していました。エレガントであることを貫かれたデザイナーでもありました。

 私が1987年に初めてパリ・コレクションに出たときは、ショーの開き方からPRの仕方、店の経営まで多面的なアドバイスを頂きました。それだけでなく、初日のリハーサルのときにはご自身も多忙の中、自ら大きな花束を抱えて来て下さったことには非常に感激しました。

 ご冥福をお祈り申し上げます。

ウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッション(WEF)名誉会長 尾原蓉子さん 

 森英恵さんは、ファッション界での先駆的日本人デザイナーとして、気品と繊細さにあふれる日本文化の美を、まさしくチョウのように、世界の舞台で羽ばたかせて下さいました。

 1965年、海外コレクションに日本人として初めて参加したニューヨークで一躍世界の注目を浴び、最高級ホテル、ウォルドルフ・アストリアで「ハナエ・モリ」ブティックを見た時の誇らしい感動は、今も忘れられません。パリのオートクチュール組合に東洋人として初めて会員となり、27回にわたるパリ・コレクションでの華やかな活躍。また多くの映画や「ひばりの不死鳥コンサート」衣装など、多方面での、品格と知性に満ちた、凛(りん)としたご活躍。ご冥福を心からお祈りします。

「大いに若い人を後押ししていきたい」と話していた森英恵さん。「ハナエモリ・デザインバイ・ユウアマツ」のデビューで天津憂さんと(2014年10月13日)

森英恵さん

 1926年、島根県生まれ。東京女子大卒。終戦後に洋裁学校で服作りを学び、51年に東京・新宿にスタジオを設立。全盛期の邦画の衣装を多く手掛けた。65年にニューヨークコレクションに参加。チョウをモチーフにしたエレガントなドレスが評価され、日本人デザイナーの海外進出のパイオニアとなった。

 77年にパリにメゾンをオープン。東洋人初のパリ・オートクチュール組合の正会員となり、04年まで作品を発表し続けた。顧客には国内外の著名人が名を連ねた。

 企業やイベントの制服も多くデザインした。バルセロナ五輪では日本選手団公式ユニフォームを担当。93年、当時の皇太子殿下ご成婚の際は、雅子さまのローブ・デコルテをデザインした。これらの活動が評価され、88年に紫綬褒章、96年に文化勲章、02年に仏レジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章した。

 チョウのマークを使ったライセンスビジネスの成功も功績の一つだ。洋服だけでなく、タオルやストッキング、サングラスなど様々な商品で、ライセンスビジネスを拡大した。02年に民事再生法を申請するなど苦難の時もあった。「ハナエモリ」の商標は現在、MNインターファッションが保有している。



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