藤巻幸夫さんを悼む各界の声

2014/03/18 10:00 更新


藤巻幸夫プロフィール+写真

丸山敬太「ケイタマルヤマ」デザイナー
 当社の代表取締役でもありました藤巻幸夫が3月15日夜、永眠致しました。生前には皆様に大変お世話になりました。「日本を美しくしたい」「日本中を元気にしたい」、それがいつも口癖でした。よくしゃべり、よく笑い、いつも、いつでも動き回っていました。

 人が好きで、楽しい事が好きで、美味しい物、美しい物、洒落てるもの、粋な事が大好きでした。それを生み出す人間をとてもリスペクトしていました。あんな人を他には知りません。僕自身、今は心にぽっかり大きな穴が空いてしまい哀しくて哀しくて仕方ありませんが、縁を繋ぐ事を大切にしていた藤巻の想いを微力ながらも継いでいけたらと思っています。

大西洋三越伊勢丹ホールディングス社長
 極めて残念であり、また悔しい思いでいっぱいです。彼ほどエネルギッシュに日本中を飛び回り、多くの人と出会い、絆を大切にしてきた人はいません。当社を退職してからも、様々な業界、政治の世界で活躍され、多くの人から愛されてきました。

 当社の若手からの信望も厚く、後輩たちに多くのアドバイスや提言をしてくれました。私にとってかけがえのない存在でありましたが、残された我々が彼の意志をしっかり受け継いで、この業界のみならず、日本の力、物作りの良さ、そして彼が常々言っていたデザインの力を発揮して、この国がさらに良くなっていくことに全力を傾けていきたいと思います。 

吉野哲福助社長
 藤巻氏には、福助が03年に新生会社としてスタートした際に、社長として再生に多大なるご尽力をいただき、今の礎を築いていただきました。05年から後任として福助の代表を引き継いだ立場として、また伊勢丹時代の同期で旧知の友人として、大変残念でなりませんが、これからも藤巻氏が伝えてくれた志をしっかりと引き継いでいきたいと思います。

永森達昌アィベックス社長
 本当に衝撃的でした。早すぎる。残念でなりません。私のことを「親父」「師匠」と言って引き立ててくれていましたが、私自身は兄弟のように思っていました。彼は面倒見のよい人で、自分を犠牲にしてまで人に気を遣い、時間を費やし、様々な苦労を背負い込んでしまったのではないでしょうか。

 政治家になってからも、業界のために頑張らなくちゃと言って、24時間動いていました。決して器用な人ではなかったですから、外野からはいろいろと言われたかもしれません。でも実際に彼と付き合った人には、彼がどういう人だったか伝わっていたでしょう。残された人は彼の遺志を継いで頑張らないといけない。二度とあのような人は現れないでしょう。

後藤英恒シカタ社長兼CEO
 シカタ新体制の代表取締役として、参議院議員になられてからはエグゼクティブプロデューサーとして、どんなに忙しい時でも、あの笑顔で社員みんなを元気づけ、あの電話で多くの方々を紹介してくれ、あの感性で新しいアイデアを次々にいただきました。

 いい商品が上がったときには本当に喜んでくれ、NGな商品には真剣に叱咤激励をいただき、いつでもパワーの塊でした。病からも必ず戻られてまた新しい話ができると思っていたので、訃報を聞いて大変驚くとともに残念でなりません。

川平泰三レストローズ社長
 阪急百貨店在籍時からの付き合いでした。普通なら80年で終える一生を54年間で、ひと言で言えば人生を太く短く駆け抜けた印象です。昨年8月にお会いしたのが最後になりました。



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