【ロンドン=若月美奈通信員】英国のファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドさんが12月29日、南ロンドン・クラッパムの自宅で亡くなった。81歳。
1941年英国生まれ。ハロー美術学校(現ウエストミンスター大学)で学び、小学校の教師をしていたが、60年代末にのちに「セックス・ピストルズ」のマネージャーとなるマルコム・マクラーレンと出会い、共にロンドンのパンクシーンをリードする存在となった。
71年に「レット・イット・ロック」の名でキングスロード430番地にオープンしたブティックは、その後いくつかの店名を経て、80年に「ワールズエンド」に変更。同ブランド名で服作りを始め、81年春夏に「パイレーツ」コレクションを発表した。そのころには「パンクの女王」として世界に名を馳(は)せた。
82年にマクラーレンと別れ、一時パリに拠点を移したが、85年にロンドンに戻る。86年、閉店していた「ワールズエンド」を再開し、87年に5年ぶりにコレクションを発表した。
その頃から作風は、英国の伝統をベースにしながらもクチュール的なエレガンスを色濃く映し出す「パンク・クチュール」へと変化した。体の曲線を意識した絶妙なシルエットで見せる服作りに対し、当時繊研新聞社のインタビューで、「ファッションクリエイションで一番大切なものはテクニックである」と語っている。
93年、再びパリに発表の場を移す。同年、オーストリアの大学で教鞭(きょうべん)をとっていた時の学生だった25歳年下のアンドレアス・クローンターラーと結婚し、公私共にパートナーとなる。
その後、クチュールライン、プレタポルテライン、メンズなどコレクションラインを広げ、伊藤忠商事を通して日本市場でも広く販売される。16年にはクロンターラーがクリエイティブディレクターとなり、メインラインのブランド名を「アンドレアス・クローンターラー・フォー・ヴィヴィアン・ウエストウッド」に改名した。
政治や環境問題に対するアクティビストとしての活動にも力を入れた。独自の活動に加え、スローガンをコレクションのタイトルにしたり、フィナーレにプラカードを持ったモデルを登場させるなど、ショーに反映させることも多々あった。信念を貫くパンクな姿勢は生涯薄れることはなかった。
90年、91年に2年連続で、その後06年に英国ファッション大賞を受賞。2006年にはファッション産業への貢献によりデイム(男性のサーに当たる)の称号を授与された。