29年前の今日の記憶。床面が急激に跳ね上がり、体の上に本やたんす、テレビなどが飛んできた。就寝中だった私はとっさに布団にくるまったが、激しい揺れが収まったあと、積み重なった物に動きを封じられ、布団から出るにも長い時間が必要だった。
室内での移動も難しく、なんとか外に出て周辺を確認すると、見慣れた街の様相は一変していた。時間の経過とともに災害状況が明らかになり、正月の寒さも加わって絶望感が増したのを思い出す。阪神間より寒い能登半島地震の被災者のことを思うと、やりきれない思いに駆られる。
無慈悲な天災は全国各地で起こりうる。どの災害も時間が経つにつれ、多くの人の口からその話題は減っていき、記憶も薄れていく。だが被災者には様々な困難がその後も長く続いていく。
失われた命への思いを抱えながらも、残された者はいやが応でも立ち直らなければならない。救援の次に必要になるのは支援であり応援だ。多くの支えがなければ、立ち直れない人が多くいることを忘れないでほしい。
(樹)