無痛分娩という選択肢
与謝野晶子は、大正5年(1916年)3月12日に5男の健を無痛分娩で産んだ。これが日本で最初に行われた無痛分娩と言われている。晶子は多産で、健の前にすでに9人もの子供がいた。そして3年後に最後の子となる6女の藤子を生んだ時も無痛分娩で出産している。23~40歳にかけて11回も出産した晶子にとっても、その痛みは耐え難いものだったのかと思う。
【関連記事】水族の居場所 高層ビルの屋上の“海”
この事実を私が知ったのは最近のことで、そんなに昔から無痛分娩が行われていたとは、驚いた。私が最初の子供を産んだのは昭和63年(1988年)のことだが、無痛分娩が選択肢にあがることはなく、友人や親戚でも無痛分娩を選んだ人はいなかったように思う。
しかし現在、無痛分娩による出産は欧米ではスタンダードになっていて、日本でもそれを望む人はかなり増えている。先日出産した私の娘も無痛分娩法による計画出産を予定していた。しかし思ったようにお産は進まず、最終的に緊急帝王切開による出産となったのだった。無痛分娩から帝王切開へと移行することもよくあるようだ。一人ひとり体が異なるのだから、経過も人それぞれなのだろう。
少し前の時代の女性たちは、与謝野晶子のようにたくさんの子供を産んでいた。医療が行き届かず、命を落とすケースが、今より多かっただろう。
始まったばかりの人生
一方、乳がんなど女性特有のがんの患者数が増えていることの遠因の一つに、女性の生涯の出産回数が減ったことがあるそうだ。乳がんには、女性ホルモンを栄養にして増えるタイプがあるが、妊娠、授乳期は女性ホルモンが抑えられるのだ。また、母乳が作られる過程で、がんになりかけの細胞を一掃する効力があるとのこと。赤ちゃんを育てるにあたって、母体の健康が守られるシステムがあるようだ。といっても2人の子供に母乳も少しはあげていた私は乳がんになってしまったので、この件も結局は人それぞれ、ということなのだろう。
うららかな秋の日、娘の入院している産婦人科病院へ、初孫に会いに行った。インテリアの美しい医院で、大きな総合病院とは違うリラックスした雰囲気が漂っていた。見舞い客は、新生児に1時間だけ直接面会することができた。
まだ産まれて1日しか経っていないベビーは、新生児用のベッドですやすやと眠っていた。時折、「くわあん」と声をあげながら体に力を入れて顔を赤くする。そういえば自分の産んだ子もこんな表情をしていたと、記憶がほんのりよみがえる。
人生は始まったばかり。名前はまだ決まっていない。うっすら開いた目はしっとりと潤んでいて、小さな光を放つ。この目で、これから何を見るのだろう。
(歌人・東直子)
