サミット目前!三重県出身業界人が語る

2016/05/14 10:41 更新


《センケンコミュニティー》伊勢志摩サミット開幕目前

ファッション業界の三重県出身者が語る 地元の思い出や魅力は?

 5月26、27日に、三重県志摩市で伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)が開かれます。日本でのサミット開催は、北海道洞爺湖町で開かれた08年以来。このところの世界情勢を受けて不安要素もありますが、サミットは開催地である三重の魅力を国内外に伝える絶好の機会です。開催を記念して、センコミではファッション業界の三重県出身者に、三重の思い出や魅力を語っていただきました。


●四日市市にアトリエを構えていた 「アキラ・ナカ」デザイナー ナカアキラさん

●実家は桑名市でテーラーを営んでいた クールジャパン機構社長 太田伸之さん

●津市の古着屋に通った 靴ブランド「ちゃけちょけ」デザイナー 倉田彩加さん

●「みえの国観光大使」も務める ドン小西さん

●番外編 三重のファッションビジネス あの企業のゆかりの地も…

三重地図


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●四日市市にアトリエを構えていた
「アキラ・ナカ」デザイナー ナカアキラさん

「自分たちのクリエーションと向き合うことができた」

 

東京のアトリエも、三重と同じく緑に囲まれた環境を選んだ
東京のアトリエも、三重と同じく緑に囲まれた環境を選んだ

 


 ブランド立ち上げからの約5年、出身地である四日市市にアトリエを構えていました。立ち上げの時期って、自分たちのブランドがこれからどうしていくかを築く期間です。三重は東京から距離があって、情報が自然とは入ってこないですから、誰が何をしているかが気になりません。その分、自分たちの物作りに集中して、自分たちのスタンスでクリエーションに向き合うことができました。それが良かったと思います。

 ファッションキャピタル(パリや東京などのファッションビジネス中心地)から離れているという点で、三重は留学していたベルギーのアントワープとも近い。アントワープにもメジャーなファッションエージェントがあるわけじゃないし、モードが街に浸透しているわけでもありません。でも、ラフ・シモンズやドリス・ヴァン・ノッテンなど、ファッションのメインストリームから距離を置いて、独自の考えでやっているデザイナーはあの街をずっと拠点にしています。

 今はこれだけの情報社会だから、ある程度メインストリームの動きと足並みを揃えないといけない部分はありますが、でも迎合はしない。アントワープのデザイナーは、自分たちのスタンスで自分たちが信じることをやるのを大切にしている。そこにすごく共感する部分があります。

 三重は日帰りで行ける範囲に、和歌山、岐阜、北陸、浜松などの素材産地や、縫製工場がある点も良かったです。東京にいたらわざわざ産地まで行かずに、コンバーターの東京事務所で生地を見ますよね?でも、僕は地の利を生かして機場に直接行っていました。それは今も続いています。直接行くから、工場のアーカイブを見て、「こういう生地が作りたい」とやり取りできた。

 「三重でブランドをやっている」と工場の人に伝えると、珍しがってすごく応援もしてくれました。そういう土壌でブランドをスタートしたことが、今の土台になっていると思います。

 14年の暮れに、アトリエを東京に移しました。どんどん忙しくなって、東京への出張の移動時間を考えると、移った方がいいなと思ったんです。東京では、色んな視点を持った才能のある人たちと密に付き合えます。なんでも揃っていて、利便性が高いのが東京のいいところ。でも、何かが無いからこそ見える価値もある。その点で、地方は魅力があると思います。

 

●実家は桑名市でテーラーを営んでいた
クールジャパン機構社長 太田伸之さん

「親父のおかげで海外を身近に感じていた」

 

「今でも、実家に帰る際に近鉄電車から三重の穀倉地帯が見えるとホッとする」と話す
「今でも、実家に帰る際に近鉄電車から三重の穀倉地帯が見えるとホッとする」と話す

 


 職人を十数人抱えるテーラーの息子として、桑名市に生まれました。子どものころから服地とミシンに囲まれて育って、小学校の遠足はうちで仕立てたジャケットと蝶ネクタイで参加していました。気取った感じがして、それが嫌でしょうがなかった。

 僕の少し上はアイビールックが大流行した世代です。高校に入ったら、机という机に「VAN」と彫ってあって、それでVANを知りました。僕はサッカーしかしていなかったけど、桑名にもVANや「JUN」を扱っている店があって、キザなやつらは通っていましたね。

 実家を継ぐという前提で東京の大学に出て、夜はパターンメーキングの学校に通いました。親父には、卒業したらロンドンのサヴィルロウで修行しろと言われていた。でも、卒業前に親父の同業の社長さんたちと欧州視察に行って、その後ハワイに行ったら気が変わりました。

 欧州のブランドは、素晴らしい素材ですてきなものを作っているけど、それは特権階級向け。ハワイの郊外モールにあるのは安い素材の服ばかりでしたが、そのマーチャンダイジングのダイナミズムにしびれた。それらのどちらが明日のファッションビジネスかと考えた時に、後者だと思ったんです。

 家業は継ぎませんでしたが、親父がテーラーで、祖父は紺屋だったということが自分の人生では一番大きい。親父はあの時代に国際運転免許を持っていて、1カ月間欧州視察に行って、撮ってきた写真の上映会を毎晩するような人でした。そのおかげで、僕も海外をすごく身近に感じられたんだと思います。

 


●津市の古着屋に通った
靴ブランド「ちゃけちょけ」デザイナー 倉田彩加さん

「鈴鹿サーキットでマラソン大会も」

 

「自然に恵まれた地元での生活も続けたかった」という倉田さん
「自然に恵まれた地元での生活も続けたかった」という倉田さん

 


 生まれ育ったのは、自然豊かで居心地の良い環境だった津市。父によくホームセンターに連れていかれたのが幼いころの思い出です。部品や材料が並ぶのを見て「このパーツはどんな工程を経て一つの形になるのかな」と子供ながらに想像していたのは自分の物作りの原点なんじゃないかと思います。

 小学校の時、“シノラー”ブームやファッション雑誌の影響を受け、自分でアクセサリーや服を作るようになりました。手芸店の材料だけでなく、古着屋で購入した服を解体してリメークしました。当時、津には「チェルノブイリ」という洋服のリサイクル店があって、限られたお小遣いで買えるので通っていました。後から知ったのですが、原発事故に関連して売上金を寄付していたようです。

 デニムにレースを付けたデザインなどを楽しんで着用していましたが、同世代で服を作る子はいませんでしたし、少数派だったと思います。小物やアクセサリーは友人や家族にも作りました。唯一、靴はノウハウ本がなくて、周りに知っている人もいなかった。そこで、ホームセンターで購入したコルク板やビーチマット使って下駄を作っていたんです。

 高校は鈴鹿市の県立飯野高校に通いました。美術や服飾デザインを学ぶ応用デザイン科があって、面接試験で見せたのが自作の下駄。それで合格しました。染色、機織り、服作りなど一通り学びましたが、思い出の一つが鈴鹿サーキットでのマラソン大会です。広大なコースの一部なので、景色が全く変わらず、どれだけ走ったか分からなくて本当に辛かった。

 

伊勢志摩の海を背景にした、子どもの頃の思い出の写真。右が倉田さん
伊勢志摩の海を背景にした、子どもの頃の思い出の写真。右が倉田さん

 


●「みえの国観光大使」も務めるドン小西さん

「ファッションで学んだことを地元に還元」

 

自身も選考に関わった伊勢志摩サミットのロゴマークを手に
自身も選考に関わった伊勢志摩サミットのロゴマークを手に

 


 中学まで三重県津市で育ちました。生家は大きな呉服屋だったので、美しいものに囲まれて、色々なものを学びました。着物の反物が並んでいる中で遊んで、母がお客さんに反物や帯を広げて勧めるあり様をずっと見ていましたよ。ボクは恐ろしく観察好きな子供でした。どんなに怖い顔のお客さんも、美しい反物や帯を見ると、顔が優しくなってね。

 鏡の前で、反物を背から掛けたり、帯を腰の後ろから番頭さんが回して勧めると、お客さんは優しい顔になるんだよ。美しいものを見ると人間の気持は豊かになるんだ、と気付きました。

 三重県から委嘱され、「みえの国観光大使」を10年以上やっています。「伊勢志摩サミット」ロゴマーク選考委員も担当しました。三重県は素晴らしいところです。歴史や伝統、文化、紀伊半島の南部に伸びる地形や環境など、いずれも凄い。海の幸、山の幸などの食にも恵まれています。日本一でしょうね。ただ、環境が良過ぎて、素晴らしい素材が活かされていないところがあります。

 そこで、やる気のある食関係の経営者を集めて「ドンと三重の会」を立ち上げ、研究会をやっています。三重の「食」をプロデュースし、新商品開発からパッケージ提案、従来の物産展とは異なるイベント開催などまで計画しています。ボクがファッションを通して何十年も学んだことを還元しているのです。

 東日本大震災前には三重県知事選候補への出馬要請もありましたよ。お断りしましたが、仮に県知事になっていても、「ドンドン知事」どころか、「ドン底知事」として、コテンパンに叩かれていたでしょう(笑)。

 

《番外編》三重のファッションビジネス

あの企業のゆかりの地も…


 三重県の産業というと、伊勢エビやカキに代表される水産業や、農林業、伊勢神宮や熊野古道を抱える観光業、四日市の石油化学工業などがパッと思い浮かびます。ファッション関連産業のイメージは比較的薄いですが、同県はファッションビジネス業界で誰もが知る企業やブランドのゆかりの地でもあります。

 三重県と関係が深いファッション企業としてまず挙げられるのが、宝飾品のミキモトです。創業者の御木本幸吉氏が、故郷の伊勢の英虞湾で、明治時代に世界で初めて真珠養殖に成功したことは有名な話です。

 三重はイオン創業の地でもあります。岡田元也イオン社長の父、岡田卓也氏が、四日市市の呉服店の岡田屋を全国展開のGMSに飛躍させました。イオンはサミット開催に合わせ、「伊勢志摩WAON2016」も発行。WAONを使って支払われた金額の一部を寄付し、観光振興や地域発展につなげます。

 セレクトショップ「フレッドシーガル」を日本で手掛けるのも三重の企業です。桑名市に本社を置く諸戸インベストメントは、15年2月にマークスタイラー子会社からフレッドシーガル日本事業を譲渡されました。同社のグループは、三重で山林業や不動産業を手掛けています。

 他の地方都市と同じく、三重にも個性の光る個店専門店がいくつかあります。伊勢市のセレクト店「ノックアウト」(ウォーン・アウト・ガーメント)はその一つ。同店は、江戸時代から続く地元の織物「伊勢木綿」でバッグなどを企画しており、地元客や観光客にファンを広げています。

 

番外編用の写真
伊勢市の専門店、ウォーン・アウト・ガーメントが手掛ける伊勢木綿のバッグ



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