2週間の海外出張から帰国し、生魚と酢飯恋しさに手頃な価格のすしチェーン店に駆け込んだ。カウンターのみの回らない店で、意気揚々とのれんをくぐったが、店内を見渡してしょんぼりした。
白木のカウンターの上には、注文用の黒いタブレットがずらりと並んでいた。ネタの入っている冷蔵ケースの上には、職人が注文を確認する黒い大きなモニターが3台。きれいに拭き上げられたカウンターは清潔感や整然とした様子が魅力だが、異物が置かれたことで雑然として見えた。
目の前の職人とは会話もなく、視線も合わない。静かにタブレットで注文し、着信音を聞いた職人がモニターを見ながら握り始める。声を出せば伝わる距離なのに、デジタルが全てを担う。その不自然さに笑いそうになる。
物価高が進むなかで手頃な値段で提供しているのだから、人件費の削減は仕方ないのだろう。混み合う時間は便利なのもよく分かる。しかし職人との軽妙なやり取りも大切な持ち味だったはず。特有のエンタメ感が消え去っていた。
海外の取材先に日本の長所を聞くと、必ず日本人の美意識の高さを褒められる。その割に、昨今の私たちは利便性や効率、タイパばかりを重んじ、日本的なモノ・コトを軽んじがちだ。価値ある独自の良いものを手放すのはもったいない。手間はかかるが、生かす策を考えていきたい。
