レストインピース、織田さん(五十君花実)

2016/10/09 00:00 更新


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多分6~7年前、東コレ後に代官山の飲み屋で、織田さんと小笠原

 

10月3日に、ファッションジャーナリストの織田晃さんが亡くなられました。

織田さんは繊研の大先輩です。と言っても、私が入社した時には織田さんは既に繊研をお辞めになられていて、杉野服飾大学で教鞭を取られていました。

だから、織田さんと一緒のオフィスで働いた経験は私にはありません。

ですが、織田さんの直属の部下だったうちの小笠原と青木(あと、今は在ロンドンのジャーナリストの若月さんや、繊研を経てモード誌で活躍されているライターの渡部さんなど)と同様に、私のことも大変かわいがってくださいました。

自分の部下だった小笠原の部下ということで、きっと孫弟子のように思っていてくださったんだと思います。

私はこの8年ほど、東京コレクションの担当記者をしていて、東コレの時期には連日紙面にショーのレビューを書いています。

校正担当の社内のデスクとかを除くと、私のレビューを一番気に留めて読んでくださっていたのは、織田さんだと思います。

毎シーズン、ショー会場でお会いすると、その日の新聞に掲載していたレビューに対して、「五十君さん、あの記事は良かったね」とか、「あれはどうなの?(=よくないよ)」と言ってくださいました。

「あれはどうなの?」と言われると、正直その場では「え~~。だって私は事実そう感じたんだもん」という風に思うのですが、翌シーズンくらいに冷静になって読み返すと、「ああ、織田さんが言ってた意味分かるわ」ということばっかりでした。

小笠原が10日4日付けの繊研新聞に書いた織田さんの追悼文をお読みになられた方も多いと思いますが、その中に、下記のような箇所がありました。

織田さんが繊研新聞編集部デスク時代に、駆け出しの記者であった私にかけてくださった言葉を思い出します。それは「おまえは服にのめり込み過ぎるから、もっと服を突き放して書きなさい」でした。

実はこの言葉は、私が先シーズンの東コレで、あるブランドの原稿に対して小笠原から言われた言葉でもあります。

私の場合は服にのめり込み過ぎる、というよりも、デザイナーという一人の人間への思い入れが強くなり過ぎる、みたいなニュアンスだったけれど。

「はなちゃん、俺もむかし織田晃におんなじ様に言われたんだけどさ~」と、あの時小笠原は言っていました。

そして今、当該の原稿を振り返って読んでみると、案の定「ちょっとやり過ぎたな」と思います。

織田さんの視点やアティチュードみたいなものは、こうやって直接的に、そして間接的に引き継がれていくんだなと、お通夜とお葬式の間考えていました。

小笠原も恐らくそういうことを思ってあの追悼文を書いたんだと思います。

こうやって育ててきてもらったので、私もいつか社内の後輩であれ、社外の人にであれ、これを伝えないといけない。

◇◇◇

ウィメンズのパリコレに織田さんも私も行っていた時、某日本を代表するモードのブランド(というか、世界でも唯一の立ち位置のブランド)が、席数がかなり少ない会場でショーをする時でも、織田さんには毎回しっかり前列の席をご用意されていたのがすごく印象に残っています。

それを見るにつけ、「ああ、80年代にパリに進出した日本のデザイナーにとって、織田さんは一緒に闘ってきた同志なんだな」と感じていました。

「海外コレクションを取材するにも、当時はジャパン社なんか当然無いから、本国に直接『取材したい』って言ってさ~。でも当然、『???繊研て何???お前は誰???えっ、日本人かよ!!!』って感じなわけよ」みたいなことを昔織田さんはおっしゃってました。

私は残念ながらその当時をこの眼で見てはいませんが、織田さんは、日本でファッションジャーナリストという職業を創ってきた人だったんだと、改めて思います。

同時に、今でこそ繊研新聞にはトレンド情報も載っていますが、当時はその名の通り綿糸の相場とかしか載っていない新聞だったので、繊研という組織の中でも「パリコレとかトレンドとか、そんな軽薄な情報がうちの媒体に必要あるのか」という多数派と闘ってきた人だったんでしょう。

ファッションや媒体を取り巻く環境はこの数年の間に激変していて、ファッションジャーナリストなり記者なりライターなりに求められる資質や能力も大きく変わってきています。

私も迷ってグラグラ揺れ動くことは多く、そういう中で織田さんという一つの指針であり、灯台みたいな存在がもういないんだというのは、非常に心許ないし、悲しい。

織田さんから直接的に、そして間接的に受けた薫陶を心に刻んで、私も織田さんのように無かったものを創っていくような形で仕事に臨んでいきたいと思います。

織田さん、本当にどうもありがとうございました。



8年くらい前、私がコレクショングループに異動して、織田さん輝美さん夫婦と初めて会った頃。織田さんと仲良しだった弊紙元デスク、山岡さんの送別会で。規子さんはパリ駐在だったからいない

 


五十君花実 特技=ミーハーな記者・五十君がお届けする業界のよもやま話。パリコレから東コレ、ストリート、地方のおもしろショップまで、ニュースあるところに五十君あり!!…というスタンスが理想です

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